日記っぽい何か

インフラ系っぽいエンジニアのメモっぽい何か ドラクエ10の記事はblogs.yahoo.co.jp/j_k54dqxに移転しましたが、Yahoo! ブログの消滅とともにネットの藻屑となりました。

映画「聲の形」が描いたこえのかたち(全力ネタバレ有)

みなさんこんばんは、じょにーです。
聲の形を観てきました。いい作品でした……。

事前情報にて分かる通り、聴覚障害を扱った映画でしたが、そこにとどまらず
多くのテーマが描かれた作品だったと思います。
原作はまだ読んでないので深掘りはできてませんが、ひとまず映画からで
自分がこの作品で良いなぁと思った点を整理してみようと思います。以下盛大にネタバレ。
























いじめ、罪と罰/贖罪

主人公である将也は、聴覚障害を持つヒロインの硝子をいじめるようになり
後に将也がいじめの対象となるわけですが、この二人を取り巻く人たちの
罪と償いの描写が、ザクザクと心を抉ってくるやつでした。

将也の母親は硝子の母親へ、補聴器の弁償として200万円を持っていき謝り
硝子が補聴器をいたずらされたときにつけられた傷の代償とばかりにピアスを引き千切られます。
将也はいじめの因果応報とばかりに自分がいじめの対象となり、心に深い傷を負い
映画の冒頭では自殺を図ろうとしています。
硝子は自分がいるとすべてが不幸になってしまうと考え、自ら命を絶とうとし、
将也はそれを止めようとして高所から転落、意識不明の重体となり
硝子の母親、妹は病院で衆目の中、将也の母親に対して土下座をします。
硝子も嗚咽のような謝罪を吐きながら将也の母親にすがりつき、徹底して罪と罰のループが繰り返されます。

他の登場人物もいろいろな立場で、罪と罰を意識させられます。

本当になにもかもがきれいな解決をみたわけではないし、植野のセリフにもあったように
「ま、それがあんたか」(うろ覚え)というふうに完全に自分を変えることはできなかったのかもしれません。

ただ、文化祭に向けてのラストの展開は、自分の犯した罪に対して、過去は変えられないけれど、
それでも前を向いて現状をより良くしようとする将也と硝子の努力が実る形になったのだと思います。
地に足の着いた、良いラストだったと思いました。


手話が綺麗

手話と言うか、まぁあの飛び降りから将也が病院で目を覚ましたあとのクライマックスのシーンですね。
「約束」を表す手話の描写が、情景とあいまって美しすぎて、気絶しそうになりました。
いやまぁ映画館だし気絶してませんけど、ほんとにため息が出る美しい表現でした。

その他にも、「またね」を表す手話、人差し指と中指でV字を作り横に動かす動作ですね
(指の股がまたねとかかってるんでしょうね、ダジャレですね。僕もダジャレは大好きです)
その「またね」、途中までは結構頻繁に登場するので
手話を知らない僕にももわかるようになるくらいには染み付くのですが、
花火の別れのシーンでは硝子は「またね」と言いませんでした。
別れの予感としてこれほど効果的な演出になるのかと、驚きました。



「聲の形」が意味するもの

ひとつは当然ながら「手話」ですね。この作品のテーマの一つである聴覚障害を描くのに
切っても切れない、声を形にする大事なツールです。

もうひとつは、ラストで将也が取り戻した「他人の声」でしょうね。
それまで下を向き他との接触に怯えていた将也が、少しでも前を向き
自分以外を受け入れることで、演出として張り付いていたバツ印が剥がれ落ち
他人の声が聞こえるようになりました。

あとは、川の描写で鯉が映るたびに
「あっこれは鯉の形ですねデュフフww」と一人で突っ込んでました。はいなんでもないです。


劇伴がよい

そのまんまですが音楽がよかったです。ミニマルな感じのエレクトロニカで、
ハンマーが動く音、打鍵音、ペダルの音などノイズがいい味出してるやつでした。


まとめ

聴覚障害、いじめ、贖罪、因果応報、自己犠牲、、、
いろいろなテーマを妥協することなくしっかりと描いていた作品だったと思います。
これからとりあえずパンフを読み込みます!原作とサントラも楽しみです。