日記っぽい何か

インフラ系っぽいエンジニアのメモっぽい何か ドラクエ10の記事はblogs.yahoo.co.jp/j_k54dqxに移転しました

【ネタバレあり】麻枝准初小説「猫狩り族の長」を読んだので感想とか

はじめに

こんばんは、じょにーです。

僕らの麻枝准による初となる小説「猫狩り族の長」を読みました。
長年のファンとしては色々と興味深い本だったなーという印象です。
早速ですが、この本に書かれていたことは何だったのか、という考察(というほどのものではないですが)や感想などを書いていってみたいと思います。
当然のように、本の内容のネタバレを含みますので、NGな方はそっとブラウザを閉じてください。














概要

この本は一貫して「麻枝准のことを書いた」ものだな、という印象でした。
個人的には何かしらの作品を鑑賞する際、作品の外からの情報は(作者のパーソナリティなども含め)あまり考えずに作品自体をまずは受け止める、という鑑賞の仕方をしたいと思っているのですが、流石に今作は無理でした。

主に十郎丸が麻枝准の代弁者として彼の常日頃感じていることを代弁し、それと時椿がどのように向き合ったかが描かれていると思います。
麻枝准のパーソナリティの投影を含め、この小説を構成する要素は大きく分けて3つあると思いました。

麻枝准の生き方」、村上春樹「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」、「麻枝准作品のテーマ」の3つです。順番に見ていきます。

1. 麻枝准の生き方

「猫狩り族の長」を読んでいくと、十郎丸が麻枝准のパーソナリティを投影した存在であることにすぐに気が付きます。あまりにも麻枝准が日頃話している主張と十郎丸のそれが被るからです。
いままでの(例としては殺伐RADIOでの長時間のトークなどから)麻枝自身の口から語られていた様々なエピソードが十郎丸とリンクしています。

  • 創作の辛さ
  • 人を愛する・結婚するということに積極的になれない理由
  • 歌が上手いわけではない
  • たまにしか吸わない煙草
  • 手掛ける曲のコード「VI-IV-V-I」進行
  • 日に当たらないので肌が綺麗

などなど。

また、麻枝自身の入院と命の危機からでしょうか…?新しく生まれてくる生命や自身の生きる意味に対して反出生主義のような見方も出ています。
これら、麻枝准の「生き方」および「生きづらさ」が、この小説の核とも言えるでしょう。

2. 村上春樹「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」

麻枝准自身、大きく影響を受けたと公言しており、CLANNADでの「現実世界」と「幻想世界」の2つの世界観にも繋がっている、村上春樹「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」ですが、麻枝准の初小説ということでおそらくこれを意識しないわけにはいかなかったかと思います。
「猫狩り族の長」では

  • 「外側の世界」への意識
  • 「外側の世界」へ行ってしまった者
  • 「外側の世界」へ行かずに残った者

などの描写が、「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」を想起させるものだったかなと思います。

3. 麻枝准作品のテーマ

麻枝准がこれまでkeyなどで手掛けてきた作品、特に「智代アフター」や、「神様になった日」などでよく描かれていた(と僕が勝手に思っている)「献身」「大切な宝物のような思い出は過ぎ去ってもなお、つらい現実に立ち向かうための力になる」といった、麻枝准作品のテーマが今作にもよく現れており、

  • 時椿の十郎丸に対する、自死を止めるための献身的なアプローチ
  • 時椿を失った後、十郎丸が自死を選ばず生き続けたこと

といったくだりは、麻枝准作品の根底にあるものが今作においても描かれたものかなと思います。

以上、これら3つの要素が小説というフォーマットに落とし込まれたものが「猫狩り族の長」なのではないかと思います。
次に、印象的なラストシーンについて少し。

ラストシーン(NEXT WORLD)の解釈

今作のラスト、とても綺麗にまとまっていていいなと思いました。おそらく世界の外側に行ってしまった時椿が、最期の約束通り「また会いに来た」のでしょう。

このラストシーンを見届けたあとだと、「時椿」というネーミングも意味を帯びたものに見えてきます。「椿」の花は落ちる際に首からポロッと落ちてしまうので、武士の時代には「首が落ちるので縁起が悪い」という意味合いで庭には植えられなかった植物だということです。十郎丸にとって、自らが迎えるはずだった死が突然の転換を遂げてしまったのは、突然落ちてしまった椿のようなものだったのかもしれません。

時椿は、殺伐RADIOで言う中川くん的な存在を表現したものかなと最初思いましたが、おそらくちょっと違うポジションですかね。
麻枝准が求めている、そばにいてほしいというような存在なのかもしれないなと雑に思いました。

おわりに 総評というか感想というかそのへん

なかなか楽しく読める作品だったかと思います。特にラストシーンは好きでした。
麻枝准の生き方」、「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」、「麻枝准作品のテーマ」が小説に落とし込まれた結果として、ある意味ユニークで、独特な内容になったかと思います。

僕個人の感想としては「おもしろかったー!」というよりは「ほうほうなるほどー」が近い感じですかねぇ。だーまえはそう思ってるんやなー、みたいな。
超絶大傑作!といったものではないかもしれませんが、麻枝准がしみじみと伝わってくる作品だったかと。

【ネタバレあり】ARIA The CREPUSCOLO 感想

はじめに

先日公開された映画、「ARIA The CREPUSCOLO」を観てきました。
思ったことや感想などを書き留めておこうかなと思い、ここに書いておきます。
8割ほどはお気持ち怪文書、かつネタバレを含みますので苦手な方はそっとブラウザを閉じてください。








感想

自分は作品外のことは作品の感想に持ち込まないようにしている(例えばエヴァを観る上でも、一旦は庵野のパーソナリティがどうこうみたいなのを全部排除した上で観て、作品の中だけから得られるものをまずは受け止める)のですが、(前作"ARIA The AVVENIRE"でもそうでしたが)この映画を観る上ではどうしても、川上とも子さんのことを思わずに観ることはできませんでした。もちろん河井英里さんについてもそうなのですが、川上さんについては別作品での思い入れが強すぎて……
そして今作ではついにアテナさんに新たなキャストが入りました。

まず最初にその声を聞いた瞬間の正直な第一印象は「違和感ないな」でした。
正直、自分がどういう気持ちで新たなキャスティングを受け止めるのか全く想像できないまま劇場に来てしまい、特に心の準備もせずに観始めて……そんなところに、あまりにもスッと入ってきました。自然に、といった表現にもなるのかもしれません。それくらい、佐藤さんの演技はステキだったのだと思います。


考えてみると……川上さんの喪失を受け入れることに抵抗があったのかもしれません。違和感を感じたいとすら思っていたような気もします。そんなことをグズグズと考えながら映画を観ていて、
いつものネオ・ヴェネツィアの風景と人々に心が洗われながら、たくさんの素敵をもらいながら、やってきたのが
今作のシナリオの肝である、先輩から後輩へ、次の世代へ、何かを伝えていくということについての話でした。


これは、やはり、象徴かなと感じました。

今回のストーリーの下敷きとなっている、ARIA The ORIGINATION 11話「その オレンジの日々を…」はもう僕が一番好きと言っていいくらいの回です。
その話を更に広げ、アテナさんとアリスちゃんの関係を丁寧に描き、次の世代への継承、何かを伝えることについて、これ以上ないメッセージになってくれたなと感じました。

「私たち、どこか似ているのかもね」というセリフはもしかしたら、佐藤さんへのものでもあるのかな……と考えたりしました。
本当に、こんな素敵な形で、アテナさんの継承を形作ってくれて、ありがとうございます。


また、関連してですが、最後の方のシーンで
あの小路で、三世代がそれぞれ背中を追ってウンディーネを目指した姿は、アーニャ役:茅野愛衣さんの声優を目指すきっかけとなったのが
ARIAであった、という話が思い起こされます。こんなに素敵で、優しい世界があっていいのでしょうか……
でも思い返してみると、それがARIAという作品の本質だったような気もします。

おわりに

久しぶりに観たARIAでしたが、またこのたくさんの素敵があふれる世界に触れることができて、とっても嬉しかったです。
本当に、作ってくれてありがとうございます。観てよかったです。

なんだか恥ずかしい文章になってしまった気がします。読んだ方は心の中でそっとツッコミを入れておいてください。

【ネタバレあり】シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 感想

はじめに

シン・エヴァンゲリオン劇場版を観ました。いやー終わりましたね。
見事なまでに終わりました。

思い返せば僕がオタク趣味に入り込む最初のきっかけであり、そこから約25年ほどずっと人生の一部分として存在し続けた、たいへん大きな作品の完結を見届けられ、何とも言えないような満足感があります。
感想とか書き留めておきたいので書いておきます。

内容にはネタバレを含みますので、まだ観てない方は観てから読まれることをお勧めします。







感想 / よかったと感じたところ

ほんとうに、みんな大人になった。シンジも大人になった。声変わりまでして(!)大人になった。
ゲンドウもついに息子の手によって救済されたし、大人になった。
ゲンドウが救われたのを見届けられたのが自分の中ではかなり大きかった。
よかったねゲンドウ。

と、そんな受け止め方をした自分もきっと大人になっていたということなのだろう。
第3村の、トウジやケンスケ、ヒカリをはじめとした人々の営みも、良いものに感じられた。

と同時に、リツコさんや冬月副司令のような、つがいになり子を残す"以外の"生き方を示してくれていたのも良かった。
今の時代的にも良かったのではないだろうか。わからんけど。

しかしまぁ冬月先生、あなたはほんとうに……。

ミサトさんの最後の「お母さんこんなことくらいしかあなたいできなかった(うろ覚え)」ってセリフ、TV版23話の「シンジ君。今の私にできるのはこのくらいしかないわ」みたいなセリフからの繋がりだろうか。

あと僕は「Beautiful World」が大好きなので、スタッフロールでこの曲に繋がったときは変な声出そうになった。良かったです。

気になったところ

TV版・旧劇場版の舞台と演出・カットを引用し、旧版を含めた救いとして描こうとした?点の見せ方について
過剰なサービス感というか、「エヴァファンのオタク、こういうの好きでしょ?」感がうっすら透けて見えてしまったような気がする。わからんけど。自分の見方だけの問題かもしれない。
あとはちょっと、すべてをきれいに解決させすぎ感もあったかもしれない。シンジとアスカの関係とか。そんなすっきり終わる!?みたいな。
まぁこのへんはもっかい観たらちょっと見方が変わるかもしれない。

マイナス宇宙、ゴルゴダオブジェクト、イマジナリー空間あたりは救いのための舞台装置としてはまぁ納得できた。
それはそれとして、真面目にやっているのかわからんが、ギャグに思えてしまう演出(シンクロ率∞、量子ワープなど)もあった。
まぁいいんだけど。

あとは、あちこちで言われてるけどアクション・バトルシーンの魅力が低いのもまあわかる。アスカがレーション食わせてたシーンがピークでしたね。

総じて、あまりにもきれいにまとめて終わってしまったので、こんなもんじゃねえだろという感想を持つ人の気持もまぁわからんでもない。これはもうどうしようもない。すべてを終わらせるために作られた映画であり、終わり方に納得できない人もどうしても出てくるだろう。25年の年月の積み重ねは、視聴者にも大きな変化をもたらしたり、もたらさなかったりした。

あんまわかってないところ

渚司令と加持さんのシーンは理解不足……。
カヲルは新劇場版でもアダムの心をサルベージしたものだったっけ、
ループしたり司令になってたりがどういう仕組みでどういう時間軸で行われてるものなのか、追いつけてない。
誰か教えて下さい。

まとめ

何としても終わらせるべく、どうにかして風呂敷を畳むべく、きれいに終わらせたエヴァンゲリオンだったと思う。
これだけのものをちゃんと終わらせてくれたことには感謝しかない。
我々は皆大人になってしまったのだ 良い、全てはこれで良い。
さらば、全てのエヴァンゲリオン

【ネタバレ有り】「神様になった日」感想

※この記事は神様になった日全般と、Keyの作品全般のネタバレを含みます

はじめに

「神様になった日」最終回が終わりましたね。みなさんはどんな風に観たでしょうか。

終わって振り返ってみると、10月の放送開始以降、毎回の放送を夢中になって視聴し、CDを買って聴き込み、ラジオも聴いて何か作品を紐解くヒントがないか探し……といった日々は本当に楽しかったです。

当然ですが死ぬほどネタバレを含みますので、ダメな人はそっとこのページを閉じてください。









感想

今作の感想ですが、「だーまえの原点回帰」「泣ける」との触れ込みではありましたが、最終回まで見た結果、個人的には泣けるほどではありませんでした。

とはいえこうして感想を書いて自分の中で整理をしようと思えるくらいにはしみじみと自分の中に残り、輝いていた作品でした。

過去作品を受けて散々語られている「死」による泣きや、超常現象的な奇跡を外しての「泣き」に挑戦したのかな、というふうにもとれました。

いろいろな批評や感想がネット上に書かれていることは承知しています(特に批評・批判)ので、既に批判されているような内容はあまりここでは書かず、自分の感想と考えたことについて書いていきたいと思います。

最終回の内容と、それを受けて感じたこと

最終回、前半部分の展開は、TV版AIR11話観鈴と晴子があまりにも強く思い出されてしまいましたね。後半ではkarmaの映画タイトルが明かされ、メイキング映像からひなの想いが時を超えて陽太に届くこととなりました。(余談ですが映画の中では歩くひなのシーンでは、前半の演出もあり、もしかしてゴールしちゃうコレ?!と焦りました)

エンディングでは車椅子に乗ったひなを押す陽太。車椅子ほんとよく登場しますね……。

1クールアニメとしては無難にまとまった?のかなぁという気もしますが、自分の中の期待値がどうしても高かったので、そこまでには及ばなかった印象です。

自分が見たかった展開、どうすれば泣けたのだろうということを考えてみました。

思いつくのは、エンドロールで宝物になった日を流しながら、徐々に回復の兆しを見せるひな みたいな一枚絵をいくつか出す、といった、CLANNADのエンディングに近い演出があるとよかったかなと素人判断では思ってしまうのですが……これはほぼ間違いなく検討はされた上で採用されなかったのだろうと思っています。

それをやらなかったということはつまり、陽太とひなのこの先に待ち受けるのは過酷な道なのでしょう。陽太がロゴス症候群の研究を成功させて治療法に繋がるような未来があると救われるかもしれませんが、結局のところそれも作中では描かれなかったことです。

これは個人的な考えですが、だーまえの作品のテーマとして根底にあるのは「献身」つまり、誰かのためにどれだけのことができるか、ということがあると思っています。作品によっては自己犠牲までもが含まれたり、「大切な宝物のような思い出は過ぎ去ってもなお、つらい現実に立ち向かうための力になる」というモチーフとして扱われたりしていると思います。

今回も陽太のひなへの献身と、その最終的な動機としてのメイキング映像が陽太を決定的に動かしたあたりはこのテーマを表現したものなのかなと思っています。

書いていて思ったのですがビデオレターの手法は5話「大魔法の日」と同じですね、もしかするとひながイザナミ母のやり方を真似たのかな……と思ったけどあの時点では「世界が終わる日」が何を意味しているのかひなが自覚してはいないはずだから違うか。

全体を振り返って

最終回を観終わった上で全体をふりかえると、、うーん、どうしても「なぜ泣けなかったのか」というところを考えてしまいますね。

1クールアニメの原作として「泣き」を作るよりは、ビジュアルノベルの媒体で輝くクリエイターなのかなぁ……という気もしないでもないですが、難しいところですね。ある程度のボリュームを持った文量で感情移入する体験での良さみたいなのは、やっぱりあると思いますので……。

劇場版2時間アニメの作品だとどうなるんだろう、というのは気になるところです。

一方、曲は本当に良かったなぁと思います、全部よかった。めちゃくちゃ聴きました。宝物になった日が本当に良くて、「その鼻先で~」のあたりは春の暖かな陽だまりのぬくもりみたいな雰囲気がめちゃめちゃよく出てたなと思います。

もしかしたら5話で使わずに最終回に取っておいた方が良かったかもしれないと思えるくらいに。

おわりに

いろいろと思うところはありましたが、楽しく観させてもらった3ヶ月でした!

アニメでやるとしたら劇場版2時間か、もしくは素直にビジュアルノベルで見たかったかなぁ……。

まだまだだーまえには終わってほしくはない(でも健康を第一にしてほしい)し、Heaven Burns Redも控えていますので、そちらにも期待していきたいと思います!

2020年度のパーティ

前回(2018年)が名雪だったので、今年は観鈴です
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うちのパーティーは週末だし今日は休肝日だしで撮るものがなく、あんまりパーティー感は出なかったが、メリークリスマス~!🎉

【ネタバレ有り】神様になった日 最終回予想

※この記事は神様になった日全般と、Keyの作品全般のネタバレを含みます

はじめに

こんばんは、じょにーです。TVアニメ「神様になった日」も残すところ最終回のみ!ということで、自分の考えを整理するためにも、最終回の内容……というか結末を予想してみようかと思います。
当然ですが死ぬほどネタバレを含みますので、ダメな人はそっとこのページを閉じてください。












それでは書いていってみたいと思います。

11話までの内容から


量子コンピュータを除去され、ロゴス症候群の症状に再度襲われたひなが過ごす施設に陽太が入り込み、どうにかコミュニケーションを取ろうと努力します。
陽太が持ち込んだゲームは、ある程度ひなの興味を引くことには成功したようです。

「神様になった日」は、麻枝准原点回帰であるという触れ込みが多く語られていますので、過去作で麻枝准の最初の商業的な成功体験であるKanon」「AIR」あたりの内容に近い結末を迎える可能性がある程度あると思います。

公開されているあらすじから


サブタイトルは「きみが選ぶ日」。内容としては、陽太が施設から退去することになり、ひなとの最後の時間を過ごすことになるようです。

「一緒に暮らしたい?」とのひなへの問いかけは、AIRを思い起こされますね。
「神様になった日」がTVアニメであることを考えると、TVアニメ版 AIR 11話の、晴子から離れた観鈴がすべてを放り出して母を求める場面が、状況としては近い物があるかもしれません。

この先の展開の可能性

この先の展開として、いくつかの可能性が考えられると思います。
ケースごとにどういった内容が有り得そうかを考えてみたいと思います。

選択肢としては

  • ひなが 死ぬ / 死なない

ひなが死なない場合は

  • ひなが 回復する / 回復しない

といった分類ができるかと思います。

ケース1:ひなが死ぬ

12話のあらすじを見るまでは、ロゴス症候群が最悪の結末を迎えた場合はひなが死亡する可能性もあるかと考えていましたが、これまでの展開と、12話のあらすじから、可能性は低そうかなと思います。
仮にひなが死亡するような結末が描かれる場合は、本当に完全にどうしようもない救いのない結末を迎えるだけでは流石に物語としての形が保てないと思いますので、死ぬ間際に何かしらの救いは描写されるのではないかと思います。陽太と過ごした夏の記憶が一瞬だけ思い出される、のような形でしょうか。
ひなの死の先にさらなる生を描くために、智代アフターのような結末の形もなくはないかもしれませんが、可能性は低そうです。
過去作を引くならKanonの真琴ルートも近いかもしれませんが、ここまでのシナリオから突然の転生ENDは流石に厳しいでしょう。

ケース2:ひなが死なない+ひなが回復する

8話で父親から聞いたロゴス症候群についての話を信じるなら、奇跡でも起きない限りはたどり着けない結末かと思います。
とはいえ、「原点回帰」を考えると、ある程度奇跡的な内容も起きる可能性はあるかもしれません。陽太の頑張りもありますので、あるとしたら下記のような可能性でしょうか

  • 陽太の気持ちがひなに伝わり、夏の眩しい思い出が思い出され、なんやかんやあって奇跡的に回復する
    • 回復するための要素が想像しづらいですが、映画撮影の際に歌っていた唄などでしょうか
    • もしくは、何十年と献身的に世話をした後にたどり着いた結末として回復、という描かれ方もあるかもしれません。
  • 量子コンピュータが再開発され、それによってひなの機能が回復する
    • 挿入歌「夏凪ぎ」の中の歌詞 "神様 奇跡は僕らが起こす" という歌詞を見ると、可能性は低いかもしれません。まぁ「僕ら」の中に鈴木少年も含まれていて、鈴木少年が量子コンピュータを再開発してしまう可能性はあるかと思いますが、素直に受け取るなら「僕ら」は映画撮影メンバーかと思います。11話での電話の場面で感じさせる絆もありましたしね……。
ケース3:ひなが死なない+ひなが回復しない

「回復しない」を、「元気だったころのひなに戻らない」というくらいの定義で書いています。
ケース1と同じく、あまりに救いがないため、何かしらの救いがありそうな形を考えると

  • ひなが元に戻らないまでも、部分的に回復する
    • この場合、回復の兆しを見せて幕、のような形になるかと思います。あの夏の眩しさは無駄ではなかった、的なENDでしょうか。
  • ひなは回復せず、それでも陽太はひなとともに歩いていく
    • こちらも智代アフターの内容に近いものになるでしょうか。なかなか辛い道です。

うーん、可能性を検討することはできますが、どれも決め手にかける感じですね。。

最大の鍵となる「Karma」

昔からの濃ゆい Key ファンの方なら気づいていたかもしれませんが、「神様になった日」を読み解く上で欠かすことのできないのが「Karma」という曲です。
この曲は、2006年発売のLiaボーカルのアルバム「Lia*dearly」に収録されている曲ですが、「神様になった日」劇中で撮影している映画はこの「Karma」の再現とも言えるものです。
「Karma」の歌詞 "卵でさえうまく割れない" "寄せては返す光を背に 楽しげにきみは歌ってた" など歌詞の内容が再現されています。卵の緻密すぎる作画が印象的でした。「卵」と「ひな」という言葉の関連性も深読みしたくなるポイントでしたね。

極めつけには、ひなが歌っている(音程の微妙な)鼻歌のような歌のメロディーは、完全にこの「Karma」と同じものなのです。
「神様になったラジオ」でもこの歌にどんな意味があるのか、という触れられ方をしていましたね。

これらの情報からヒントを読み取るとすれば

贅沢なんかいわない 悲しみだって受けるよ
だから君という人だけ
ここにいて ずっといて 僕から 離さないで
どんなことも恐れず 生きていくから

何もできないきみだって 僕は好きなままいるよ
運命というものなんて 僕は決して信じない
卵も割れなくていい いくつでも僕が割るよ
歌が下手だっていいよ こうして僕が歌うよ

このあたりの歌詞でしょうか。これからの陽太の進む道を暗示しているかのようです。
「Karma」は、「一番の宝物」「Life is like a Melody」と並んで、麻枝准曲の最高傑作である、と「殺伐RADIO」で本人の口から語られていますので、この曲の持つ意味が小さいことはないだろうと思います。

まとめ

まとめようとしたのですがあんまりまとまりませんでした。
今の段階で言えることとしては、おそらく陽太(と、あるいはその仲間たちも含めて)がひなのために「どんなことも恐れず 生きていく」という姿が描かれるのではないかと思います。
「きみが選ぶ日」では、流石に陽太を選ばないということは、ないのではないかと思いますので、一旦陽太と過ごすことを選んだひなと、陽太がどんな道を辿るのか。
最終回を楽しみに待ちたいと思います。

おかあさんといっしょ「ブー!スカ・パーティー!」を深読みしすぎて不安になる

こんにちは、じょにーです。

突然ですが、NHK Eテレ おかあさんといっしょ 8月の"こんげつのうた"
「ブー!スカ・パーティー!」をご存知でしょうか。

2020/09/03時点ではこちらの公式ページで歌詞と画面が確認できます
www.nhk.or.jp

おそらく近いうちにこんげつのうたが切り替わると思うので、アーカイブを貼っておきます
web.archive.org


歌詞を見ていただくと分かる通り、
ブタくんのおうちにみんなで集まり、楽しくパーティーをする様子が
スカの軽快な曲に乗せて歌われている、ポップな曲です。

楽しくパーティーをしている曲なのですが、ちょっと待っていただきたい。
よーーーーく歌詞を見ていくと、なんだか不穏な気配がしてきます。
まぁ完全に僕の疑心暗鬼でしかないのですが、少し一緒に歌詞を見ていきましょう。

ブタくんの家でごちそうを用意している

そらが はれたよ おべんとう できたよ
ブタくんちに だいしゅうごう(ハイ!)

という歌詞があり、一見持ち寄りのパーティーのように思えるのですが、
映像ではこの部分を歌っているのはブタくんです
ということは、ブタくんちが料理を用意して、皆に来てもらっているのではないでしょうか。
なんだか負担になっていないか心配ですね。
なぜブタくんはそこまでして皆に来てもらっているのでしょうか?
次の不穏な気配を見てみましょう

参加者に肉食動物、捕食者が混ざっている

パーティーの参加者を見てみましょう

  • ブタくん
  • おさるさん
  • キリン
  • ゾウ
  • コアラ
  • パンダ
  • ウシさん
  • ワニさん
  • ライオン

なんだか後半、明らかにヤバい動物が混ざっている気がします。大丈夫でしょうか。
ブタくんの何を目当てにパーティーに参加しているのでしょうか。
ブタくんは「くん」付けて呼ばれているのに対し、ワニさんは「さん」付けで呼ばれているあたりも
何かしらの力関係を感じます。

明日もパーティーをやると言っている

パーティーも終盤に差し掛かり、そろそろお別れです
ブー!スカ・パーティー、今度いつやる?という問いかけに対し、ブタくんの反応は下記の歌詞です

ブタくん ニヤニヤ
あしたも やります どうですか?(いいねー!)

いや、いいねー!じゃないが。明らかにブタくんちの負担でかいだろ。
ブタくん大丈夫?言わされてない?

完全に捕食者と被捕食者の力関係でこのパーティーが開催されているとしか思えません。
食物連鎖の闇です。
ニヤニヤしているブタくんも、本当は断りたくて困った顔をしていたのをニヤニヤと誤解されてしまったのではないでしょうか。

そして、パーティーは続いていく……

そんなわけで、深読みしすぎてブタくんが大変心配になってしまった話でした。

ブタくん、最終的には「ローストポークはどうですか?」「いいねー!」なんてところに
追い詰められないか、大変心配しています。
どうか強く生きてください。

(繰り返しますがすべて深読みしすぎた僕の妄想ですので本気にしないでね)